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Rina
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Monthly Archives: April 2022
「道は開ける」D・カーネギー/著
“一日の終わりに再び自問してみる。「私はどれだけ疲れているのか?もし疲れているのなら、それは精神的労働に従事したためではなく、そのやり方のためだ」。ダニエル・W・ジョスリンは言っている。「私は仕事の成果をはかるのに、一日の終わりにどれだけ疲れているかではなく、どれだけ疲れていないかを基準にする。一日の終わりにひどく疲れを感じたり、いらいらして神経が疲れているなと感じる時は、量的にも質的にも仕事の効果の上がらなかった日であったことを知る」。もしアメリカの全実業家が同じ教訓を学ぶなら、高血圧症による死亡率は一夜にして激減するだろう。また疲労や悩みに打ちひしがれた人々で、療養所や精神科病院が満員になることもなくなるだろう。” – 「道は開ける」D・カーネギー/著
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禅学入門
“聖イグナチウスがいわゆる瞑想と祈禱とは禅の見解からすれば敬虔なる信徒のために丹念に織り出された、幾多空想上の捏造物に過ぎず、それは幾重にも積まれた頭上の瓦のようなものである。そこに精神生活の真価はないのである。しかしこれらの精神的修行が五停心とか九不浄観とか六随念とか十遍処とかいったような小乗仏教の観法に多少似通った点のあるのは興味あることだ。有名な『日本の宗教』の著者、グリッフィスは禅を以て心の殺戮または怠惰な瞑想的耽溺を意味するとしている(二二五頁)。私は彼が何を言っているか知らないが、「心を殺す」とは、恐らく禅が一物に心を集中したり、睡に引き入れたりして、その活動を殺すことを言ったものであろう。ライシャウアー氏もまたその著『日本の宗教研究』(一一八頁参照)中に、禅を以て神秘的自己陶酔と断定して、グリッフィス氏の見解を裏書している。彼は禅を以てスピノザが神に酔っていたように、いわゆる「大我」に酔うことを意味したのであるか。ライシャウアー氏の言うところの「陶酔」とは意味するところ明瞭を欠いているが、彼は禅を以てこの個物の世界の最後の実在としての「大我」にはなはだしく没入することだと考えているのかも知れない。” – 鈴木 大拙
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